わたしの本棚 / 本という宇宙

今日2chのまとめサイトを見ていたら、ユダヤの格言を紹介しているスレッドでうれしい言葉を見つけたのであげておく。

本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ。もし、本と服を汚したら、 まず本から拭きなさい。
最後まで売ってはいけないのは本である。旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら、必ずその本を買い求め、故郷に持ち帰りなさい。

さすがユダヤ人、古本が分かってますねー。ノーベル賞最多受賞民族だけのことはある。
そんなわけで、今日は自分の私的な本棚を紹介しながら、本についてあれこれ書いてみる。

IMG_4361これは売り物ではないわたしの個人的な蔵書だ。写真に撮っておいて何だが、別に大した本はない。その気になればどれも数百円、もしかしたら一円で買えるような本ばかりだ。でもこれらは二十代の頃、甘ったれていたわたしに電気ショックのような喝を入れてくれた、プライスレスな本である。その頃わたしは、人並みに映画や音楽などいろんなものに手を出したが、本が、もっと言えば本という媒体に封じ込められた天才たちのことばが、一番強く響いた。小林秀雄志賀直哉ジョルジュ・バタイユリルケヴィトゲンシュタインなどなど。挙げればキリないが、彼らの本を初めて読んだ時の、脳のシナプスが頭蓋骨のなかで連鎖爆発を起こしたような衝撃を、今でもはっきり覚えている。その後は、例えは悪いが、風俗デビューした若者が女にのめり込むように本に耽溺した。六畳一間の穴倉は本だらけになり、親からの仕送りで本を買い、当時働いていた取次書店の給料は本のツケに消えた。それだけ本を読んで、立派な学者か作家にでもなっていれば、親も喜んだろうが、今はこうして古本屋。つくづく大馬鹿なわたし(笑

IMG_4366わたしは古本屋だが、本至上主義者では全然ない。常々わたしは「本は危険なものだ」と思っているし、今のところ見当たらないが、本以上のツールが生まれれば、本がなくなっても構わない。ではなぜ今だにわたしが本を読むかと言えば、本という媒体を通してしか成り立たない、他者との深い交流があるからだ。スマホに文字を打つ人が、スマホを通して誰かと会話しているように、本を読むわたしも、本を通じて作者と対話する。ただスマホと違うのは、対話する相手が死んでいる人かも、二千年前の人かもしれないことだ。先日わたしは獄中の人と対話した。友人の古書赤いドリルさんから勧められた、坂口弘の『あさま山荘1972』を読んだからだ。わたしは左翼でも右翼でも馬のションベンでもないが、実に意義深い対話だった。おそらく刑務所で本人と面会しても到底得られないほどに深い対話だった。そのようにしてわたしは、人種も国籍も、いま生きているか死んでいるかも関係なく、様々なひとと対話する。本というただのハコを通して。なぜだろう。本によって得られる対話に比べると、わたしはインターネットでの交流も、直接の会話ですらも、嘘くさく、時に偽善的に感じてしまう。

IMG_4369日頃は饒舌でも、ネットでは寡黙になるひとがいる。いつもは物静かでも、マイクがあると朗々と歌うひとがいる。それと同じように、日頃はどんなひとでも、本を書くとなると、何かが目覚めてしまうひとがいる。そんなひとが、「本に書く」以外になし得ない言葉の宇宙を奏で、それにわたしが共鳴してあらゆる想像力、あらゆる感情を動員して作者とのコミュニケーションを果たす時、本を読みながらわたしの脳細胞は連鎖爆発を起こす。わたしが本を愛する理由はこれに尽きる。

長くなったのでこの辺で。

幻のロシアケーキ

写真は、福岡のロシア料理店「ツンドラ」で購入したマトリョーシカです。買い集めたくなりました。

実家から少し離れた商店街(中心地)に小さな菓子店がありました。
お菓子の種類はたくさんはなかったのですが、その中のロシアケーキが絶品でした。ロシアケーキだけで4~5種類はあったでしょうか。
母が独身の時分、勤め先に近かったこの店のロシアケーキを好物としていて、当時は、そうめったに買えるという余裕はなかったのだと思います。時々このお菓子を食べるのを楽しみにしていたのだそうです。
その後、このロシアケーキの美味しさは私たち子どもたちにも受け継がれ、母が買ってきたり、私が会社帰りなどに買い求めたりして、家で皆で食べていました。このお店の白い紙袋が家にあるときは、〝あのお菓子がある〟とうれしくなったものでした。

あるときから店が休みがちになり、どうやら店主であるおじいさんが体調を崩しているらしいと風の便りに聞いて、そのうち店は閉じてしまいました。そういえば、お店では、たいていおばあさんが接客をしていました。
それからは、他の店のロシアケーキを食べてみたり、似たようなものはないか探したりもしてみましたが、あの店に勝るロシアケーキはいまのところありません。
いま思えば、あれは伝統的なロシアケーキではなく、もしかしたらフランス菓子の製法も取り入れたようなそんな風体ではなかったかと思うこともあります。他のロシアケーキとは少し見た目も違っていたし、味についてもほろほろと口の中で溶けていくようなそんな食感でした。
以前、ネット販売で取り扱っていた古書「洋菓子教本 製菓の理論と実際 / 竹林やゑ子 著」によれば、ロシアケーキはしっかりと焼き込んであるようでした。

伝統的製法であれ、おじいさんが独自に作り上げたロシアケーキであれ、グラニュー糖をたっぷりと全体にまぶしたもの(これがいちばんの好物だった)、ジャムがのったものなど、どれも実に美味しかったのです。しかし、残念なことに後継者はいなかったようです。

こうして、おじいさんが作り続けたあの幻のロシアケーキの味は引継がれることなく、静かに消えていきました。

文章を書く場所

写真は、実家のある銚子の古い図書館です。
奥の敷地の建物がいまは図書館になっているので、この古い建物はまた別の使い方がされているようでした。このときは、上の階の方から、複数の女性たちの賛美歌のような歌声がやわらかに聴こえてきました。

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作家の人たちが文章を書いているときの様子が書かれているエッセイなど、とても興味深く読んでいます。

10分足らず電車に乗れば行けるお気に入りのホテルへ出向き、さっとシャワーを浴びてから原稿を書き始める。夕方には、お手伝いさん(昭和30年代頃の話)が冷たい紅茶の入った水筒と白蒸しパンを夜食にと届けてくれる。そして、夜通しかけて原稿を書き、ゆっくりと眠る。

そして、また別の女性作家は、朝の一番列車の汽笛の音で毎日必ず正確に目覚め、釜戸に火を起こして米を炊き、日中は畑仕事、真夜中に泣く子をおぶって机に向かい原稿を書く。そのペン先は割れて紐でしばってある。

自宅で一日中コトコトとスープを煮込んでいる間、じっくりと原稿を書く女性作家のエッセイも思い出しました。時折り、煮込み具合を見ながら、野菜を入れる順番を気にしながらペンを走らせる。
書き終える頃には、肉も野菜もトロトロのポトフの出来上がり。

私は古本屋なので、文章を書くといったらこのブログしかないのですが、書く場所はというと、市場の帰りの電車の中や、帰りがけに立ち寄ったスーパーのベンチに腰掛けて書く、といった感じです。

6月とアジサイの花

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今日で6月が終わります。
住まいのある周辺には、わたしの大好きな、色や形が様々なアジサイがたくさん咲いてくれていて、出かける度に花に目をやり、ささやかな喜びを感じています。
この季節、和菓子店などで、あじさいを見立てたお菓子が置いてあるのを見かけるのもまたうれしいものです。

写真の本は、暮しの手帖に連載されていたエッセイです。
本の内容も、白地に薄いグレーと黄色のすっきりとしたラインの装幀もとても気に入っています。
この連載は、花森安治さんが亡くなられた直後にスタートし、著者が暮しの手帖社の大橋鎮子さんとふたりで育てた仕事なのだと、あとがきにあります。
季節にかなったものや日々の暮らしにまつわるエピソードなど毎回テーマごとに写真が添えられていて、この写真がどれも素敵なのです。
この中には一枚だけ、花森さんが撮影した月夜の写真が掲載されています。

この「あじさい」というテーマのお話も写真も好きです。
あじさいは6月の花というイメージがあるので、7月に入りだんだんと見れなくなっていくと、いつも少し寂しい気持ちになります。
様々な色のあじさいの中でいちばん好きな色は、紫とブルーが混じり合った色です。
いつだったか、あるお宅のベランダにもくもくとあふれんばかりに咲きほころんでいるアジサイをみかけましたが、やはりアジサイは家の中より外にいてくれる方がしっくりくると思いました。

増田れい子さんが、この本とはまた別の本だったと思いますが、梅雨の季節に入ると、家の中で使うタオルをすべてアジサイ色のものに変える(タオルの衣替えのような感じ)と書かれていて、わたしも来年はそうしようと思いながら、日々の忙しさに流され今年も忘れてしまいました。来年こそは、紫やブルーのタオルを用意して、梅雨の季節を過ごしたいと思っています。