【3days Bookstore !? ②】そして集まった「7つの古本屋」

前回の続き:【3days Bookstore !? ①】それは「たいした本ないね」の一言から始まった

手紙社のK氏に「やります!」と答えたものの、イベントは一人ではできない。「仲間」がいる。だが私は、調布でこぢんまりとやっているオンライン古書店だ。知名度もなく、人望も全くない(泣)私の中にあるのはただ一つ。お客さんに言われた「たいした本ないね」の言葉。いや、これはただの言葉ではなく「メッセージ」だった。私に対しての、そして古本屋そのものに対しての・・・?

では「たいした本」とは何だろう?それから私は、会う人ごとに「どんな本が好きか」「どんな本を買っているか」聞いて回った。答えは予想だにしないものだった。

ある主婦の方は、文学が好きで「遠藤周作をよく買う」と話してくれた。ある女の子は、親の仕事の関係で、建築関係の本を買うと言う。ある男性は、草花の本と万葉集、奈良・京都の写真集が好きなのだそうだ。そのほか、図鑑を集めている女の子、暮らしにまつわる本が好きな方、推理小説が好き、雑誌が好き、絵本を集めているなどなど。
いくつかを除いて、どれも私が東京蚤の市に持っていかないタイプの本ばかりだった。マニア受けするような、古本屋として「オッ」と思うような貴重な古い本を挙げた人は一人もいなかった。本好きにもいろんなタイプがいる。だが多くの人たちが「そこ」に求めているのは、えてして古本屋が「珍しくもないもの」として軽視しがちな古本、それも驚くほど「多様な」本であった。

ここでふと、考えてみる。
古本屋を長くやっていると、表紙の見栄えがする本、同業者が持ってこないような珍しい本に、だんだん意識が向いていく。それは仕方がないことだ。逆に市場に出回っていて、古本屋として集めるのにさほど苦労しないような本は、イベントにも持っていかず、取り扱わなくなっていく。だが、同業者が競い合う「オラが本自慢」と、多くの人々が本に求めているものに、ズレが生じているのではないか?
私も、本が好きで、古本屋になった。
だが、私の人生に大きな影響を与えた本 −志賀直哉小林秀雄ジョルジュ・バタイユなど −は、どれも、どこの本屋でも手に入る、珍しくない本ばかりだ。本から受ける影響に、その本の値段や、珍しいかどうかは関係ない。「いい本はいい」のだ。例えば志賀直哉の文庫はアマゾンで1円で売られているが、私にとってはプライスレスではないか!?

よし決まった。古本屋のエゴとか、そんなものは、本の価値とも、お客さんが本に求めているものとも関係ない。古本屋がもう一度原点に立ち戻って、それぞれの得意ジャンルの名著、オススメしたい本、自分が感動した本を、ストレートに持ち寄る、そんな古本イベントにしたい。そのために、いろんな楽器を持ち寄って、一つのバンドが生まれるように、得意ジャンルの違う、しかも扱うジャンルに愛と経験を持っている、そんな背筋の一本通った古本屋さんに参加してもらいたい!

こうして、主催者である手紙社の協力のもと、単に「出店者を募る」と言うより、「趣旨に賛同してくれる仲間」集めが始まった・・・。

まだ名前もなく、形も決まっていない、西調布の手紙舎 EDiTORSで行うイベント。あるのはただ、原点に立ち戻って、余計なものを取り去り、お客さんと本とが出会う新しいカタチ(イベント)を創りたいという熱い思い・・・。

この、事業計画書だったら銀行に叩き返されるような状態で、イベントへの参加を快諾(!)してくれたのが、以下の「7つの古本屋」である。

MAIN TENT(吉祥寺) − 国内外の絵本
古書まどそら堂 (国分寺)− 推理、SF、サブカル、少女漫画etc.
カヌー犬ブックス(府中) − 料理、暮らし、旅など
古書玉椿(調布) − 手芸本、フォークロア
クラリスブックス(下北沢) − アート・デザイン、哲学思想、文学etc.
古書むしくい堂(八王子) − 鉄道、音楽、切手etc.
古書モダン・クラシック(調布) − 料理、暮らし、歴史、ノンフィクション、写真集etc.

3days Bookstoreのフライヤー用に撮った写真。本が浮いてます。

【3days Bookstore !? ①】それは「たいした本ないね」の一言から始まった

「古本イベントやんない?」

あの人は、いつもこんな感じで話を振ってくる。
何気ないキャッチボールのつもりでいると、いきなり150キロの豪速球が飛んでくる、そんな感じだ。
だから彼と話すときはいつも、リングに上がったボクサーのような心境になる。
この時もやはり、そうだった。

「やります!」
思わず即答した。それには、私なりの理由があった。それは前回の東京蚤の市でのこと・・・。

手紙社が主催する東京蚤の市は、私のような、夫婦でこぢんまりやっている古本屋にとって、とても大事なイベントだ。年2回、たった4日間のイベントだが、お客さんの数も、出店者さんのレベルも、私の知る限り最高ランクのイベントだからだ。だが12回目ともなると、どうしても出店者として「慣れ」が生じてくる。もちろん、ブースはカッコよく作らなきゃいけないし(うちのブースがカッコイイ訳ではない)、在庫も、他のどのイベントよりもたくさん用意する。だから手を抜くことはあり得ない。ただ何というか、昔に比べると、自分の中で勝手に「ゴール」を作って、それを埋める作業になってしまっていた。この自分でも意識しない「慣れ」を、あるお客さんの一言が粉砕してくれた。

「なんかたいした本ないよね」

自分のブースで店番をしてた時、耳に入った通りすがりのお客さんの言葉だ。しかも、別のお客さんから、もう一度同じ言葉を聞いた。ショック。
私は日頃から、ふと目に留まった語句や、耳にした印象的な言葉を、何か自分に対する重大なサイン/メッセージとして受け取る変な癖がある。
ただの聞き違えだったかもしれないし、昨夜の準備疲れからくる幻聴だったかもしれない。そんなことはどうでもよく、私の耳にそう聞こえた、その事実がメッセージだった。

東京蚤の市が終わった後、しばらくこのメッセージについて考えた。逡巡したり反発したりの後、コップ一杯にたまった水が、あるきっかけで零れ出すように、ここ数年の、古本屋として惰性でやってきた様々な自己の欠点が、ありありと見えてきた。
私が心の師と仰ぐ小林秀雄の言葉に次のようなものがある。

「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な事だと、人はいう。然し、尺度に従って人を評することも等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し、常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである。」『様々なる意匠』

さすが小林秀雄。いい事言うぜ。
このように、過去に読んだ本が、人生の節目節目で甦ってきて作用するのも、私の癖の一つだ。
そう。この古本業界に携わって17年目。あらゆることに「慣れ」が生じてしまい、小林先生の言う「生き生きとした、溌剌としたマインド」を、どこかに忘れてしまっていた。こうしちゃいられねぇ。何かをやらねば!!

・・・そこで、最初に戻る。

「大ちゃん、古本イベントやんない?」との言葉。

「やります!いや、ぜひやらしてください!!」

こうして、まだ名もなき古本イベント、後に「3days Bookstore」と名付けられ、7つの異なるジャンルを持つ古本屋が集うことになるプロジェクトが、動き始めたのであった。

神田の古書会館に置かれたフライヤー