古本街道をゆく二「長崎・ふるほん太郎舎(前編)」

幾つかの大手雑誌で年に数回「おしゃれ古本屋特集」が組まれている。聞く所によると、おしゃれ本屋や古本屋の特集号は部数が伸びるのだとか。その割に古書業界に一向景気回復の兆しも見えぬのはどういう訳だろう。みな古本屋を見るのは好きでも、行くまでには及ばない、という事か。ともあれ業界受けのするおしゃれで個性的な古本屋がそうたくさんある訳ではないから、畢竟掲載されるお店も限られ、一部の有名店が繰り返し紹介されるに至っては、「個性的」と銘打ちながら紙面自体はマンネリとの感が拭えない。

一方私が『日本古書通信』の取材で各地に行くと、この道何十年のベテラン古書店でありながら、雑誌の取材は初めて、と言われる事が少なくない。或る地方の老舗古書店さんは、以前掲載された紙媒体として、十年以上前の学級新聞を奥から引っ張り出してくれた。それは社会科見学で地元小学生の取材を受けたものだった。

面白いのは、こうしたマスメディアの世界で「存在しない」も同然に扱われているお店の中に、高い「ふるほんや力」を持つ店が少なくないことだ。「ふるほんや力」とは私が考えた造語で、「古本屋をやっていく覚悟」「失われていく本に対する愛情や知識」「古本をお客さんの元に届けるという職業的使命感」そして何より「古本を売る力=経済力」。この四つの指標を総合的に言い表したものが「ふるほんや力」だ。『日本古書通信』の四年間の取材の中で、メディアでの知名度は皆無でありながら、「ふるほんや力」で私など到底足元にも及ばぬ古書店さんに何度も出会った。今回長崎で取材したふるほん太郎舎さんも、そうした高い「ふるほんや力」を持つ古書店のひとつだ。

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太郎舎さんの事務所兼倉庫。

土地勘がないから上手く描写できないが、長崎の中心部から車で四十分ほど走った山の中に、ふるほん太郎舎さんの自宅兼事務所はあった。事前に連絡すれば誰でも行けるので、是非行ってみてほしい。訪れた者は、こんな辺鄙な山の中(失礼!)で、宝の山に出くわすだろう。一階が事務所兼倉庫で二階が自宅となっているその一階部分は、天井が高く奥行きのある造り。そこに高さ二メートルはある書架が幾重にも列をなし、店主の平坂桂太氏によると八万冊の古本がギッシリ詰まっている。すべてAmazonや日本の古本屋、スーパー源氏といったオンラインで販売されている在庫だ。詳しくは今月発売の『日本古書通信・五月号』をご覧頂きたい。今月号の私の連載「21世紀古書店の肖像 vol.52」でふるほん太郎舎さんを紹介させて頂いている。店主さんの写真も、このブログではアウトテイクを載せているが、かなりカッコイイ写真(店主さんがダンディだったせいもある)が掲載されている。

とにかく私は、ふるほん太郎舎さんに、衝撃を受けてしまった。東京は、古本屋をやるのに、確かに恵まれた場所だ。だが恵まれすぎて、見落としてしまう真実もある。その事を、長崎の山奥で太郎舎さんに教えられた気がする。その啓示の何たるかは、今後のウチの店の活動で実践していけたら・・・。

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仕事場にいます→

(後編へ続く)

古本街道をゆく一「長崎・大正堂書店」

今日から「古本街道をゆく」という読み物を、このブログで時々書いていこうと思う。
私は『日本古書通信』(八木書店発行、昭和九年創刊)という雑誌で、「21世紀古書店の肖像」という連載をやっている。これは私が日本各地の古書店を訪ね、写真と短い文章で毎月一店ずつ紹介するものだ。早いもので連載を始めて四年目となる。紹介させて頂いた古書店も五十店を超えた。ただ連載では、文字数が五百字程度と限りがあるので、毎回いろんな興味深い話を伺いながら、書ききれない事柄も多い。そこで「古本街道をゆく」では、字数の関係で『古書通信』で書けなかったことを、自由に書いていこうと思う。『古書通信』の連載と合わせて読んでいただければ幸いだ。

私は見知らぬ旅先でその土地のことを知りたければ、地元の、できれば老舗の古書店に行き、その土地に関する本を数冊買って、店主さんとお話をするのが一番だと思っている。古書店主は学者ではないが、その場所で長年やっている古書店は、地元の教育機関や作家などと取引があり、自身も本好きということもあって、ちょっとした郷土史家と変わらない知識を持っている。古書店主とは、私たちにとって最も身近な「在野の知識人」なのだ。私は昔から、司馬遼太郎の『街道をゆく』や宮本常一の本を読むのが好きだった。この「古本街道をゆく」が、在野の知識人である古書店主を通して見た、一風変わった各地のフィールドワークになればと思っている。

【大正堂書店(長崎)】

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大正堂書店三代目・唐島清德氏

昭和のムード歌謡「思案橋ブルース(中井昭・高橋勝とコロラティーノ)」で有名(?)な長崎市の繁華街・思案橋。そこから十五分ほど歩いたところに大正堂書店はある。大正堂さんがある場所は鍛冶屋町という場所だが、このたくさんの寺と中島川に囲まれた鍛冶屋町・万屋町・諏訪町といったエリアは、どうやら長崎の古本スポットのようだ。このエリアには大正堂さんと、今回取材で伺ったひとやすみ書店さん、そして取材はできなかったが銀河書房さん、あと今はないが文禄堂という古書店もこの辺にあったそうだ。どの店も歩いて十五分とかからないので、長崎を訪れた際は行くべきだろう。

さて大正堂さん。このお店、九州の古本好きには言うまでもないが、明治四十三年創業の大・老舗古書店だ。今年で創業百五年というから凄い。私が『日本古書通信』で四年取材した中で、百年を越す老舗古書店と言えば、明治三十六年創業の神田・一誠堂書店さん、寛延四年創業の京都の竹苞書楼さん(日本最古の古書店)、そしてこの大正堂さんで三店目だ。今回話を伺ったのは、三代目の唐島清德氏と息子さんで四代目の史徳氏だが、「大正堂さんが九州で一番古いでしょう」と聞くと、何と九州には熊本の舒文堂さんというさらに老舗の古書店があると言う。九州恐るべし。いずれ熊本にも取材で行かねば。

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昭和五年の大正堂書店

最新号『日本古書通信・四月号』で大正堂さんを紹介しているので、詳しくは是非そちらをご覧いただきたい。ここではそこで書き切れなかった事を書いてみる。

一般に長崎でイメージすることと言えば、「原爆」「カステラ」「海援隊」、それから「ちゃんぽん」に「グラバー邸」くらいか。私は九州出身だが、その程度の知識を出ない。だが今回長崎の古本屋を巡って、必ず出たキーワードに「長崎大水害」があった。これは昭和五十七年に長崎を襲った災害で、死者・行方不明者は三百人弱。長崎市内のほとんどの棟が冠水したと言う。当時九歳で福岡に住んでいた私もおぼろげにだが記憶している。長崎の古本屋にとってこの大水害は悪夢のような出来事であったらしく、今回の取材で数軒の古本屋からこの話を聞いた。曰く「店の在庫が水浸しになり泣く泣く処分した」「地下の倉庫が水没して何トンもの本を廃棄した」など。さらに長崎大水害以降、稀覯本や戦前の資料など良い買取が激減したそうだ。水は紙の天敵である。つまり一般の家庭の書庫は無論、貴重な紙モノの資料が眠っている旧家の蔵なども水浸しになり、ほとんどが廃棄されてしまったのだ。大正堂の唐島清德氏によると、「昭和二十年の原爆と、五十七年の大水害は、長崎の古本屋にとって大打撃だった」。

「長崎は文化の発祥の地」であると言う。それは江戸時代、長崎の出島が海外との交易を許された唯一の機関で、このいわば「文明のへその緒」を通して様々な世界の新知識が日本にもたらされたからだ。西洋医学や科学、活版印刷や写真術など、「長崎発祥」と言われるものは数多い。古書の世界では、こうした資料を総称して「長崎モノ」と呼んだりもする。おそらく原爆と大水害がなかりせば、相当な「長崎モノ」が現存し、日本の近世・近現代史に資したであろうと思うと、この喪失に呆然とする。これが今回の大正堂さんを取材して、一番心に残った話であった。

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出島の風景。シイボルト著『NIPPON』より